ニューノーマル 幸せの意味を考える 幸せ感じてますか?
二回目の緊急事態宣言が発令されています。
毎日のマスク着用、テレワーク、不要不急の外出自粛。
昨年から、世界規模で状況が変化しています。
そんな中では幸せの意味を考えることが多くなりました。
幸せという意味は人それぞれ違います。
わたしなりの幸せは、暮らしを通しての日々の積み重ねで作りあげられるモノです。
withコロナ、afterコロナ、ニューノーマル。この言葉から考えたことを書いていきたいと思います。
ニューノーマルって?
ニューノーマル?っていうけども、わたしは少しこの言葉に疑問をもっています。
なぜなら時代や世の中は時間と共に変化していくのが当たり前だからです。
例えば今でも江戸時代の生活をしている人がいるのか?って思うとゼロ。
あえてニューノーマルというキーワードを盛に言われるのは急激に生活環境を変化せざるえない状況になったから。
歴史を振り返るとそういったターニングポイントは今までも私たち人類は迎えていたはず。
では、わたしたちは当たり前にどう変化していけば良いのか。
考えることを続けること
何か調べごとをする時に、どう調べていますか。
わたしは最初にインターネットで検索します。そこから関連する記事を探して情報をえます。
スマートフォンやインターネット社会の成長によって、わたしたちは自由に自分が求める情報を得ることができるようになりました。
それは調べるという主体的な行動と思いきや、情報の雨を受けるだけの受動的な行動です。インターネットで調べていると、自分に都合が良い・気持ちよくなる情報がメインに集まります。その情報を得ると、あたかも全て知ったかのような感覚に陥ります。
わたし自身もそうですが、それで満足してしまうと考えることをやめてしまいます。
いままでは情報を得ることに価値がありました。
なんでも知っているような博識の人ってすごいなーと思いますよね。
でも、今の時代はインターネット、スマートフォンがあれば誰でも情報や知識を得られる時代です。つまり誰でも博識になれます。
わたしたちは当たり前に変化していかなければいけない。
どう変化していく?
わたしが思うこの答えは、情報や知識を得たあとに、「自分なりの考え(アウトプット)」をしっかり持つことが、これから必要になるとだと感じます。
正直そんなの当たり前!って言われればそうなのですが、そういったものに限ってできないのが世の常。意識的にやらなければ身につきません。
暮らしから幸せを感じる
情報やモノがあふれている都内に暮らすことはとても魅力的で刺激的。そこにいるだけで自分が成長している、変化していると感じ、幸せにもつながります。
ここで、本当にそれは幸せなことなのか?と考えてみました。
いまは情報やモノはインターネットから得られます。
ここからわたしは、あえて東京都内に住む必要性がないと感じています。
都内と出ないとできないことが、どんどん少なくなっていっている感覚です。
テレワークの普及なんてまさにそうだと思います。
住まい・暮らしというのは幸せに直結するモノだと、わたしは考えています。
モノを得ることで幸せを感じますが、それは永久的なものかと言われると違く、一時的なものです。
お金を稼いでもそうです。
自分の身近にある住まい・暮らしが少しずつ充実していくこと、つまり暮らしを通して幸せが積み重なっていくことが永久的な幸せと言えるのではないかと思います。
ここでいう充実は、お金をかけることとは違います。
家族との何気ない暮らし、海や山といった自然に触れ合うといったことです。
人それぞれ幸せと感じることは違いますが、わたしが感じる幸せは上記のようなことです。
湘南で暮らしは幸せ
新型コロナの流行初期の3月にわたしは湘南藤沢へ引っ越してきました。
これは本当に良いタイミングでした。
お家で暮らす時間が増える時期と重なり、暮らし・住まいの大切さを身に染みました。
海や山といった自然が与えてくれる癒し、住民の温かさ、家族と日々の会話等のコミュニケーション、こういうものからの幸せは都内で暮らしていた時にあまり感じられなかったです。
長々と散文っぽくなってしまい、文書を書いてきましたが、結論なにが言いたいかというと湘南に住むことは幸せな暮らしにつながります!といったことです。
余談
湘南と限定的に書きましたが、「シンプルに住みたいところに住む・暮らす」これを大切にするべきだと、わたしは思います。
このブログで、閲覧してくれている方が情報を得て考えるきっかけができるような記事が発信できたらなと思います。
大変な世の中ですが、降り止まない雨はありません。雨降って地固まるように、日々を過ごしていきたいですね!